遺産分割審判前の保全処分とは?
「遺産分割手続を進めているが、父の遺産の美術品を管理している長兄が、度々、勝手に遺品を売却しているらしい。このままでは遺産分割が終わるまでに、遺産を全部売られてしまうかもしれない。なんとかならないか?」
こんなお悩みがある方はいらっしゃいませんか?
時間と費用をかけて遺産分割調停・審判を行っても、最後にフタをあけたら、遺産がなくなっていたのでは、手続をした意味がありません。
せっかくの調停・審判が無駄にならないよう、このような事態を防止する制度が、「審判前の保全処分」です。
今回は、この遺産分割審判前の保全処分について解説をします。
1.審判前の保全処分とは?
家事事件は、通常、家庭裁判所の調停で話し合い、合意できなければ、裁判官が審判を下します。審判の内容が確定すれば、法律関係は動かせないものとなり、審判内容に従わない当事者がいれば、強制執行で権利を実現できるようになります。
しかし、調停や審判は時間がかかります。手続を経て法律関係が確定するまでの間、現状を放置していては、いざ結論が出た段階で権利の実現が困難となってしまう場合もあります。
例えば、何らかの理由で家を出て行った夫が、妻子に必要な生活費を決める婚姻費用の分担請求事件を考えてください。
調停、審判の結論まで待っていては、妻子が困窮し、最悪、子どもの命にかかわる事態すらあり得ます。
このような危険を避けるには、調停、審判の結論が出る前であっても、必要があれば夫の給与を仮に差押えるなどして、ともかくも当面の生活費を確保させるべきです。
また、判断能力が不十分な方を保護する成年後見人による後見の開始を決める事件を考えてください。
審判で成年後見人が決まるまで、本人やその財産を放置しておけば、詐欺の被害に遭うなどして、後見が開始された段階では、既に財産が失われてしまっているかも知れません。
そこで、この場合、後見開始の審判が決まる前であっても、それまでの間、本人の財産を管理し後見してくれる者を選び、保護を任せるべきです。
このように、調停・審判の結論を待っていられない事情があるときに、裁判所が財産や関係者の保護を図るために必要な仮の処分を命令できる制度を、「審判前の保全処分」と呼びます(家事手続法105条1項)。
家事事件手続法
第105条1項 本案の家事審判事件(家事審判事件に係る事項について家事調停の申立てがあった場合にあっては、その家事調停事件)が係属する家庭裁判所は、この法律の定めるところにより、仮差押え、仮処分、財産の管理者の選任その他の必要な保全処分を命ずる審判をすることができる。
本案の家事審判事件(本案の家事調停事件)とは、もともと申立がなされた家事事件のことです。
「命ずる審判をすることができる。」とあるのは、保全処分の命令もまたひとつの「審判」だからです。
2.調停でも審判前の保全処分は利用可能
「審判前の保全処分」という名称のため、家事審判を申し立てていないと利用できない制度と誤解されやすいのですが、上の条文(家事手続法105条1項)にも明記されているように、調停の段階であっても審判前の保全処分を利用することができます。
最終的な結論を待っていては取り返しがつかなくなる事態がありうることは、調停中でも同じだからです。
審判前の保全処分の利用が認められる調停事件は、次の9つです。
- 遺産の分割(200条1項)
- 夫婦間の協力扶助に関する処分(157条1項1号)
- 婚姻費用の分担に関する処分(157条1項2号)
- 子の観護に関する処分(157条1項3号)
- 財産の分与に関する処分(157条1項4号)
- 親権者の指定または変更(175条1項)
- 扶養の順位の決定及びその決定の変更または取消(187条1号)
- 扶養の程度または方法についての決定及びその決定の変更または取消(187条2号)
- 特別の寄与に関する処分(265条の5)
3.審判前保全処分の「類型」とは?
家事事件手続法における審判前の保全処分には、4つの「類型」があると言われています。この「類型」とは何でしょうか?
上で見たように、家事事件手続法は、105条において、家庭裁判所が審判前の保全処分を命令できると総括的に定めていますが、具体的に、どのような家事事件で、どのような要件のもとで、どのような処分ができるのかという点についての詳細は、別途それぞれの家事事件について規定した条文で個別に定めているのです。
したがって、具体的な事件で裁判所にどのような処分を求められるのかは、個別の条文を読んでいただくしかないのですが、法が個別に定めている処分の内容を大きく分類してみると、4種類のタイプに分けることができます。
これを審判前の保全処分の「4類型」と呼んでいます。
審判前の保全処分の4類型
類型名 | 例 |
---|---|
①財産の管理者選任などの類型 | 成年後見開始の申立てがあった場合で、本人の財産管理などの必要があるときに、審判の効力が発生するまでの間、財産を管理する者を選任することなどができる(126条1項) |
②後見命令などの類型 | 成年後見開始の申立てがあった場合で、本人の財産保全のために特に必要があるときは、審判の効力が発生するまでの間、選任した財産管理者の後見を受けることを命じることができる(126条2項) |
③職務執行停止または職務代行者選任の類型 | 親権喪失の申立てがあった場合で、子の利益のために必要があるときは、審判の効力が発するまでの間、親権者の職務の執行を停止することなどができる(174条1項) |
④仮差押、仮処分その他の保全処分の類型 | 婚姻費用の分担に関する処分の申立てがあった場合で、子などの急迫の危険を防止するために必要があるときなどは、仮差押え、仮処分その他の必要な保全処分を命ずることができる(157条1項) |
4.相続事件における審判前の保全処分
相続問題に関して家事事件手続法の審判前の保全処分を利用できるのは、次の3つです。
- 遺産分割審判申立、同調停申立(200条)……①類型、④類型
- 遺言執行者の解任の申立(215条)……③類型
- 特別の寄与に関する処分の審判申立、同調停申立(265条の5)……④類型
以下では、遺産分割事件についての審判前の保全処分を解説します。
遺産分割審判事件、遺産分割調停事件において、利用できる審判前の保全処分の内容は次のとおりです。
処分内容 | 要件 |
---|---|
裁判所が財産の管理者を選任すること(200条1項) |
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裁判所が財産の管理に関する事項を事件の関係人に対して指示すること(200条1項) |
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仮差押え、仮処分その他の必要な保全処分を命ずること(200条2項) |
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遺産のうち特定の預貯金債権を仮に取得させること(200条3項) |
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このうち「仮差押え、仮処分その他の必要な保全処分を命ずること」(200条2項)を例にとって説明しましょう。
父Aが建物などを残して死亡し、長男B、次男Cが共同相続人となりました。ところがBは建物を1人で占拠したうえ、勝手に建物の登記名義をB名義に移転してしまいました。Bは建物を第三者に売却してしまうつもりです。
このような場合、最終的に、土地はCが取得し、BはCに建物を明け渡せという審判が下り、それに基づいてCが強制執行しようとしても、既に建物はBから第三者の名義に移転していたうえ、第三者が占拠してしまい、強制執行が困難となる危険があります。
そのような事態とならないよう、Cは裁判所に審判前の保全処分を申立て、Bは建物を譲渡するなどの処分をしてはならず、占有の移転もしてはならないという処分禁止や占有移転禁止仮処分命令を出してもらうことになります。
5.審判前の保全処分における手続の流れ
上にあげた、「処分禁止の仮処分」の例で説明しましょう。
(1) 申立書の提出と要件の疎明
Cは、自分の遺産分割調停または審判事件が係属している家庭裁判所に対し、「審判前の保全処分申立書」を提出して申立を行います。
申立手数料(収入印紙)は、1件1,000円程度です。その他に予納郵券(切手)が必要です。予納郵券の内容は各裁判所で異なりますので、必ず事前に確認してください。
この例で、保全処分が認められる要件は、まず遺産分割の審判・調停の申立てがあることですが、これは問題ありません。
次の要件は、Cの将来的な強制執行を保全するため必要があることで、これを「保全の必要性」と呼びます。Bが建物を占拠し、勝手に名義を移転し、売り飛ばそうとしている事情がこれにあたります。
ただ、その前提として、保全される権利が、将来の審判において認められる蓋然性があることも要求されます。来たるべき審判でCの権利が認められる可能性がないのであれば、その保全を図る理由もないからです。
つまり、上の事例に則して言えば、「建物は遺産分割でCが取得するという審判」が下る蓋然性があることが必要なのです。これを「本案審判認容の蓋然性」と呼びます。
この「保全の必要性」と「本案審判認容の蓋然性」は、申立人が裁判官に疎明しなくてはなりません(家事事件手続法106条2項)。
疎明とは、裁判官が真実であると確信することを要する「証明」と異なり、裁判官が一応確からしいと推測できる程度の立証を指します。保全処分はスピードが命なので、立証の責任を緩和しているのです(同109条1項)。
(2) 裁判官の判断と保全命令の発令
申立書が受理されると、裁判官と面会する期日が決められます。期日には裁判官から事件内容について質問などがあり、疎明資料(証拠)が足りない事項については追加の証拠を提出するよう求められます。
裁判官により理由があると認めてくれると、担保の金額を決めます。裁判官から一方的に金額を告げられ、滅多に金額をまけてもらえません。担保を入金する期限を設定されますので、必ずそれまでに入金します。期限を過ぎると命令は発令されませんので、注意しましょう。
【担保の必要性】
仮差押えや仮処分は、申立人の疎明だけで暫定的に発令されるので、例えば虚偽の言い分に基づいて発令されてしまい、相手方に損害を発生させる危険があります。このため、裁判所から担保、つまり一定の金銭を預けるように要求されることが通例で、命令は担保のお金と引き換えに発令されます(家事事件手続法115条、民事保全法14条1項)。
担保の金額は、事案によって異なりますが、例えば上の建物に対する処分禁止命令の場合、建物の価額の10~30%程度が目安となります。
なお、担保を積む方法は現金を法務局に供託する方法の他、銀行などの保証書を差し入れるなど各種の方法がありますが、詳しくは裁判所書記官が説明してくれるので、心配する必要はありません。
保全命令は発令されると相手方に告知されることで効力が生じ、通常の審判のように確定しないと効力を生じないということがありません(家事事件手続法109条2項、74条2項本文)。
また、第4類型の保全処分のうち、金銭の支払い、物の引渡し、不動産の処分禁止など、これを執行する行為が必要なものは、相手方による妨害を防ぐため、命令の送達前でも(すなわち告知前でも)執行することが許されます。
ただし、執行できる期間は命令が送達された日から2週間に制限されています。これは暫定的な判断の効力を長期化させないためです(家事事件手続法109条3項、民事保全法43条2項、3項)
6.まとめ
遺産分割の手続きを進める中で、審判前の保全処分を成功させることは非常に重要です。
保全処分をスピーデイかつ確実に成功させておかなければ、その後の調停や審判が全く無意味となってしまう危険があるからです。
失敗は許されませんから、法律の専門家である弁護士に依頼されることをお勧めします。